【読書】ソクラテスの弁明
『ソクラテスの弁明』を読んだ。岩波文庫を読むのは久々だった。
読んだ動機
1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365という本を毎日読んでいて、その中にソクラテス、その弟子プラトンに関する説明があり興味を覚えた。
本屋に行った際にこの本を手にとると、
と書いてあった。芸術的に完璧ってどんな文章なんだ?と気になり、購入して読んでみることにした。
感想
ソクラテスの思考そして生き様を50ページくらいの短さで無駄なく強烈に印象づける点は確かに芸術的だなと思った。表紙の言葉に納得。ソクラテスの哲学はプラトンの文章力があったからこそこの時代まで残ってたのかなとも思った。ソクラテスの弁明内容にいくつか興味深いものがあったので記していきたいと思う。
あらすじ
まず簡単にあらすじを述べる。ソクラテスはとある人物から訴訟を起こされ、その嫌疑を払拭するため法廷で弁明を行うという話。
ソクラテスに対する訴状は、
ソクラテスは不正を行い、また無益なことに従事する、彼は地下ならびに天上の事象を探求し、悪事をまげて善事となし、かつ他人にもこれらの事を教授するが故に。
とあり、自身が使命とする人々との議論を通じて、人々の反感を食らい、それが元で訴訟を起こされたのである。ネタバレをすると結果的に死刑判決を受けることになった。
「無知の知」&死に対する考え
そもそも、なぜソクラテスは議論すると反感を食らうかというと、人々(特に賢者と思われている人)が実は何も知っていないのに知っていると思っている、すなわち知ったかぶっていることを、ソクラテスが暴露してしまうからである。
これによりプライドを傷つけられた賢者達はソクラテスに憎悪し、誹謗中傷が巻き起こり結果的に裁判へと発展してしまった。
有名な「無知の知」は、この本に出てきていた。
その無知の知を、死に対して適用していたのが新たな気づきであった。
「思うに、使徒は人間にとって福の最上なるものではないかどうか、何人もしっているものはない、しかるに人はそれが悪の最大なるものであることを確知しているかのようにこれを恐れるのである。しかもこれこそまことにかの悪評高き無知、すなわち自ら知らざることを知れりと信ずることではないのか。」
確かにそうだなと。そしてソクラテスは、上記のように死を前にして自身の正義を曲げてまで死を回避しようとする人々をよく見ることを引き合いに出し、ソクラテス自身はそういった態度こそが悪で恥ずべき行為だと主張する。このようなソクラテスの自分の信じることを貫き通す心の強さが魅力的に映った。かっこいい。
そして終盤で死が夢も見ないほどの熟睡と同じようなものだったら最高じゃないかと話かけるところがあり、そういう考えもあるのねと印象に残った。
ソクラテスの弁論術
作中に一部、告発者との議論のやり取りがある。これを読むとソクラテスの頭の良さが分かる。皆が納得するような事実を除々に認めさせ、最終的に相手の矛盾点を証明させるところは見事だなと思った。
そして確かにソクラテスに議論をふっかけられたらいやだなと思う。確実に何かしらを指摘されて、特に地位が高い人にとっては都合の悪い邪魔な相手だと思われても仕方ないなと感じた。
人々のネガティブの感情は強い
「私を滅ぼすべきものはこれである。それはメレトスでもなくアニュトスでもなく、むしろ多衆の誹謗と猜疑とである。それはすでに多くの善人を滅ぼして来た、思うにまた滅ぼして行くであろう。」
これは現代でも通じるように、自尊心を傷つけられた際の嫉妬心・憎悪は強い。生きていく上で、他人のこういったネガティブな感情をいかに刺激しないように、そして自分がそういった感情に陥ってしまったときに、いかに冷静になり落ち着けられるかが重要だなと思う。本書を読んで感情にも気づきが得られたのは収穫であった。